35th Anniversary

Nash music library

「著作権」を引き受けること
~音楽ライブラリだからできること

01

2018年8 月、ユーザーの皆様のご愛顧により、ナッシュミュージックライブラリーは創業 35 周年を迎えました。1983 年の創業以来、ナッシュミュージックライブラリーは一貫してオリジナル楽曲の自社制作にこだわり、全ての権利を集約・自社管理することで、ユーザーの皆様が使用しやすい「完全ロイヤルティーフリー」のライセンス許諾を行ってきました。

アーティスト、作曲者、作詞者、編曲者、演奏者、レコード会社、出版社、配信業者。そもそも、音楽作品の制作・供給には様々な人々・組織が関わり、様々な権利が発生します。楽曲の使用条件によっては、複数の使用許諾、高額な使用料の支払いが必要となることがあります。

煩雑・複雑な音楽の権利処理に悩まされる映像制作の現場の声を聞いたナッシュミュージックライブラリー創業者の梨木良成は、業務用に最適化した「完全ロイヤルティーフリー」のライセンス契約を発想し、「使用されるため」の音楽ライブラリーの制作を開始しました。以来、創業者、ナッシュスタジオの自社スタッフを中心に、様々なアーティストと緊密な関係を築きながら新しい音楽作品を生み出してきました。

現在はコンピュータで音楽を制作するDTMが一般化し、一人でも音楽を制作できるようになりました。巷にはストリーミングサービスの波が押し寄せ、誰でも容易で気軽に作品をリリースできるようになっています。世界中で無数の音源が日々アップロードされ、音楽制作を行う AI の台頭も聞かれるようになりました。業務用音源、市販音源に関わらず、音楽コンテンツの供給過多とも言われる時代に突入しています。

めまぐるしく変わる世の中にあっても
今、ナッシュミュージックライブラリーに何が求められているのか?
を問いながら
徹底した権利の自社管理
創造的でプロフェッショナルな音楽作品の制作
迅速かつ手厚いカスタマーサポート
に今後も精進してまいります。

株式会社ナッシュスタジオ
スタッフ一同

Image
Image
創業者インタビュー

音楽ライブラリをビジネスとして始めるきっかけは何だったのでしょう?

ナッシュミュージックライブラリーがスタートしたのは、ここ大阪市北区です。ここ西天満は東京の放送関係者にも有名な場所です。関西テレビやよみうりテレビが近くにあったことで、周りにプロダクションが点在し、音楽制作のスタジオもここに集まっていました。中でも西天満は当時広告会社も多く、ナッシュスタジオの前身になる会社も、広告代理店の入っていたビルに入居していました。昼になったら、その辺のエンジニアやミュージシャンがぞろぞろ昼飯食いにうろうろしていました。

たまたまある日、スタジオで知り合いのエンジニアと雑談していると、仕事で使う音楽がなくて困っているんだ、と言うのです。「どんな音楽?」と聞いてみると、テレビ・ラジオ放送や CM に必要な類のオープニング、ジングル、テーマ等、ということでした。「どうして?世の中には音楽なんてたくさんあるのに」と私は思いました。さらに話を聞くと、楽曲の権利がスムースにクリアできない、つまりスムースに使用許諾が得られないことが一番の問題でした。

現在と変わらず、当時も煩雑な権利処理に悩んでいたわけですね。

当時から、著作権使用に関してはがんじがらめの管理許諾体制があったわけです。そもそも音楽と言うのは、世の中に作品が流れると同時に、社会のあらゆる領域に浸透していくものです。その浸透力は映画や小説といった他のコンテンツを圧倒的に凌駕しています。そんな音楽を仕事・業務に使うとなると、利益を生み出すために作られた管理体制に組み込まれてしまいます。例えば、CMならこの窓口、この許諾、この使用料。何秒使ったらこの使用料。全国放送かローカル放送か。ラジオかテレビかあるいは映画か。とにかく事細かに管理されているわけです。使用用途毎に許諾を得る必要があり、使用料の支払いが必要になります。そもそも使用自体が NG であると事後的に発覚することもあり、その場合は仕事が全てパーになってしまいます。これは一つの例に過ぎませんが。

後から高額な使用料を請求されるなど、大きなトラブルにもつながりかねません。

著作権管理団体、音楽業界の著作権の管理の仕方も含め、非常に音楽が使いづらい状態が
続いており、制作現場は困っていました。もちろん音楽の中身もそうです。

例えば、新しいハイキングコースのインフォメーションを行いたいと。映像は春の野山。春の空気が優しく香るような美しい調べで、なおかつナレーションを邪魔しない音楽が欲しい。おまけに権利関係はクリアで、高くなくて、アノニマス。そんな音楽があったら便利だな~と ( 笑 ) 最初はめちゃくちゃ言うなと思いました。そんな都合のいい音楽があるわけないだろう、と ( 笑 ) それから事務所に帰って、今日こんな話がありましてね、と話をしました。その時はナッシュスタジオの前身の会社だったんですが、当時の社長が、梨木、それお前作れよ、と言ったんです ( 笑 ) え、そんなのどないしまんねん、とか言いながら ( 笑 ) でもどうすればできるだろうと一生懸命考えました。

それがナッシュミュージックライブラリーの始まりになる。

始めた頃(1983 年創業)は、ほとんど、放送関係、テレビ・ラジオ、
広報ビデオ(昔は広報映画)などの業務に使いやすいジャンルに
ターゲットを絞って制作しました。

当時、音楽業界はそれなりに活気があって、ミュージシャンの知人も周囲にたくさんいましたし、その中には作曲をする人もたくさんいましたし、手伝ってくれないかと彼らに声をかけたのですが、もうきっちり全部断られました。そんなものを作るのは嫌だと。音楽というものは一曲売れたらそれで一生食べていけるかもしれない。それなのにどうしてそんな仕事をわざわざするのか?それが当時の音楽家のメンタリティでした。たくさんギャラが出るならやるという人もいましたが、少量のギャラしか設定できません。原価計算したら出せなかったんです。貧乏会社でしたし、第一どれだけ売れるかわからないから捻出しようがない。しょうがないから、私一人で作り始めた、というわけです。

Image

当初からビジネスとして成り立つだろうという確信はお持ちでしたか?

何であれ仕事としてお金をもらうためには何かしら世の中の役に立たなくてはいけません。営業のスタッフと制作スタジオやポスプロに伺い、音楽に困っていらっしゃいませんか、ということをリサーチして周りました。確かに映像向けの音楽は不足しており、どの現場も困っていました。大きな声では言えませんが、現場は相当無理を強いられていたようです。契約的にも、音楽的にも、金額的にも、使える音楽が少ない状態で、大変苦労していた。だから、価格さえ適正であれば受け入れられるのではないか、と思いスタートしました。確信があったわけではありません。

ヒット曲を出して、みんなを感動させて、100 万人に受け入れられる音楽を作る、それが当時の一般的な音楽家の命題でした。そんな時に天気予報の音楽を作れるか?音楽家としては相当な頭の切り替えが必要になります。私自身、中学性の頃から、音楽しかないような、ちょっと頭のほうけた人間ですから、そんな仕事やるやついないよな、と思っていました。しかしその時はやってみたろやないか、おもろいやないかと。実際は悲壮なものでしたけど ( 笑 )

ここに記念すべき第一集のアナログレコードがありますが、リリースから 35 年以上経った今、そのサウンドは古びているどころか新鮮に聴こえます。

年間 400 曲、そんなペースで制作しました。最初はお金もなかったし機材もありませんでした。当時はコンピュータもなかったですし、全て自分で演奏しなければいけませんでした。CM 音楽の作曲家で相当たくさんの作品を作っている人もいましたが、それはあくまで譜面を作るまでの仕事です。私の場合は、音まで仕上げないといけませんでした。

一日一作以上の驚異的な制作ペースです。

確かに、考えてみると、そういう意味では、私ほどたくさんの楽曲を作った作家はそんなにはいないでしょうね。そこまで集中して、がんがん作った人というのは周りにはいません。聞いたこともないです。多分、それまでやったことのないことに挑戦する意気込みだったと思います。当時の一般的な音楽制作の考え方は、時間をかけてバンドの曲を練ったり、受け仕事でもアレンジやセッティングにこだわり、例えば、たった 2 曲を録るためだけに何日も、ことによったら何ヵ月もかけたりしていたわけです。当時の音楽制作はコストがかかることが前提でした。オーケストラやスタジオ費も使って、お金だけはどんどん回っていた感じですね。一体誰が儲けているのか、ただみんなで金とエネルギーの浪費をしているだけではないのかなんて冗談が出るくらいでした。

DTM が一般化した現在とは異なり、当時は大勢の人が関わって音楽制作を行っていたので手間もかかったはずです。

それに比べると、一人で始めた音楽ライブラリの制作スピードは全然違いました。例えば少数の作品を作って「どうぞお使いください」と提案したところで「使い勝手が悪い」と返されてしまうのが落ちです。

ライブラリは楽曲のバラエティ・バリエーションが必要とされます。
それまでのスピード感ではとてもできなかったし、思いついたらすぐに音にしていくと言うような感じです。

まあしんどかったですが、ある意味面白かったです。「こんな曲を作りたい」その一心で、一ヶ月かけて作ったものをさらに一ヶ月かけて手直しする。普通音楽家はそういうやり方をして自分の作品を創っていくものですからね。